日本の高校教師が教育について自論を語ってます。

高校教師の考えた教育論

現役の高校教師があーでもない、こうでもないと教育について愚論を展開しています。

逆算できない進路指導

 今、高校現場で困ったなと思うことは、生徒に将来どんな仕事に就きたいかと質問出来ないことです。ちょっと前までは、「将来、何になりたい?」「弁護士です。」「じゃあ…」と話しが続いていったのですが、今は「弁護士です。」「弁護士かあ、弁護士なら将来まだあるかもね。でも、どうやろ?」となります。

 要するに、今まで当たり前のように行ってきた職業から逆算して進学先を決めるという進路相談が成立しなくなってきました。

 つまり、進学目的と目標が定まらない、目的が無いから勉強する気にならない、目標も無いからダラダラするという状況が状態化しています。医師になるとか存在確率の高い職業を選んでいる生徒のモチベーションは維持できたとしても、その他大勢の生徒の学習意欲は、この従来型の進路指導では育ちません。

 生徒の中にはそもそも大学に行く意味があるのか?という疑問も生じてきています。大学に行き、専門的な勉強をして、資格を取り、それを元に就職するというイメージが漠然とはあるが、しかし大学に行って学んだことや取得した資格が就職の役に立たない、目指す職業が大学卒業した頃には無いかもしれない、あったとしてもこの先何年もしないうちに斜陽かもしれないとなると、もやもやして、先生や親の言う通りに勉強していれば何とかなるという理屈に承服しかねる子どもが増えても何の不思議もありません。いや、むしろ、ハイと言って何の疑問も持たずにひたすら受験勉強をしている子どもの方が珍しいでしょう。

 さて、困った挙げ句に、私は生徒に「将来、何になりたい?」ではなく、「将来、何をしたい?」と質問するようにしました。「こういうことをしたい」に沿って大学を選べば良いと提案しています。ですから、場合によっては、何の資格も取れず、現段階では卒業後の就職に困るかもしれない選択を示唆してしまう可能性もあります。例えば「本が好きだから文学部に行きたい」などです。それでも学習する目的ができ、目標とする進学先が見つかれば幸いだと思います。また、そんな遊びに行くような感覚で大学に行くのはもったいないと言う生徒には専門学校で手に職をつけるのも良し、思い切って働いてみるのも良しと話しています。

 新しいのか古いのかわかりませんが、働くため就職するために大学に行くのではなく、面白そうだからこれをやってみたいから大学に行くという方が今は正直な感じがしています。かつては大学なんて出ても仕方が無いとかごくつぶしだとか言われていた時代があったそうですが、それに近いものがあるかもしれません。

 まさに豊かな社会の贅沢です。そんな進路指導で良いのか?と考えると、多少の負い目のようなものも感じますが、この先、何が安定した仕事になり、何が収入源になるのかなど考えても正解など無いわけですから、「これなら大丈夫だ」などと進められる道など私にはありません。どの方向に進んだとしても浮き沈みはあると考えた方が良さそうです。それならば、好きで好きで仕方がないという方面に進み、万が一食べるに苦労することがあったとしても、「まあ、好きでこの道選んだんだし、これぐらいの苦労はあるわな」と納得できる方が幸せなのではないでしょか。

 しかも、大学の4年やそこらで勉強して取れてしまうような資格は、AI技術やロボット技術の進歩を考えると、それらに代替される可能性大だと思います。本当に興味関心があり何年もかけて深掘りした中味のあるものでないと社会での存在価値も無いということになるように思います。何とも言えませんが、その人にしか出せない味というか感覚みたいなものが機械との差異となり価値を生み出していくようになりそうな気配がします。

 こういう私の考え自体も個人的な感慨に過ぎず、果たして生徒に伝えていいものかもわかりません。ただ、人間ですから、自分だけ好きなことをして楽しく生きてきて、君たちは我慢して嫌いなことでもやり続けるのがベストなんだというウソはつけないなと思います。