日本の高校教師が教育について自論を語ってます。

高校教師の考えた教育論

現役の高校教師があーでもない、こうでもないと教育について愚論を展開しています。

充填期間

 22歳で教師になり、がむしゃらに突き進んでみた二十歳代終盤、ここで満足して伸び悩むのを恐れ、周囲の反対を押し切り29歳で母校を後にして新設校に転勤、そこでさらに優秀な生徒と先生たちに出会い、成長させてもらいました。

 しかし、それにも飽き足らず、今度は37歳で一度退職し、大学受験、学生に戻りました。4年間、教育とは何か、なぜ、日本の教育はこうなってきたのかと正面から向き合う時間を得ました。一度目の充填期間でした。

  大学院を出て41歳から15年間、現在の年齢までにまた3つの学校で教師をさせていただく機会に恵まれました。15年教師、学び、15年教師、また学びたくなりました。第二のエネルギー充填期間に入ります。

 しかし、前回のように職を離れて大学に行くとかではなく、今回は働きながら学びたいと思います。今興味関心があるのは哲学です。それとICT関連です。どちらも仕事と直結していますし、取り組んでいて面白いです。

 幸い周囲にはそれらに詳しい先生もいます。直接疑問を投げかけることもできます。さらに今までになく資料や図書の購入も便利です。別に資格を取りたいわけではないので、試験対策も必要ありません。ただ、時間の設定をしないとダラダラしてしまうので、最長4年、出来るだけ3年以内に何らかの形にして区切りをつけたいと思います。

 一般的には同じことを3年のサイクルで繰り返していると思われがちな高校教師ですが、私の場合はそういうサイクルはあまり当てはまりません。サイクルに乗ったとしても、同じことを繰り返すことはしていません。変えれば何でも良しではありませんが、必然的に変えて試してみたくなります。なぜなら、対象になる生徒も世の中も変わっているからです。

 そして、同じことを繰り返すと、何より教えている自分自身に飽きとたるみが生じます。ワクワク感のない授業は生徒にも敏感に伝わり、彼らにも飽きとたるみが移ります。私はできれば、同じ教材を使う授業は1回だけにしたいと思います。2回も3回も同じことをしていると、惰性が生まれてしまいます。横並びのクラスで試験範囲を揃える必要がある場合は仕方ありませんが、なるべく受け持つクラスは単独で定期試験の作成採点が可能になるように希望しています。生徒のレベルにはあまり関心ありません、それよりも私の裁量で進めて他の先生に迷惑をかけないクラスを持ちたいと考えています。

 今までの経験と新しく学んだこととその時々に直観的に浮かんだことをミックスして自分にその時点でできる最高の授業を提供したいというのが当然ながら私の願望です。自己満足に過ぎないことは承知で、やれること、やりたいことはすべて実践したいのです。

 そのためには、哲学とICTの知識が不可欠です。深く考え対話を欠かさず、広く生徒からのレスポンスをいただくためには両方必要です。目の前の生徒の反応に私の存在価値のすべてがかかっています。授業後に何かを残そうだとか研究授業で若手の見本とかを意識することはできません。使って終わったものはドンドン捨てて、常に軽く有りたいと思います。

 4年の充填期間を終えたあたりに、また、ターニングポイントがやって来るかもしれません。他人や社会が変わることより、自分がどう変わるのかに強く惹かれます。自分の可変性、可動域をますます大きくしたいです。