日本の高校教師が教育について自論を語ってます。

高校教師の考えた教育論

現役の高校教師があーでもない、こうでもないと教育について愚論を展開しています。

学校再開?

 コロナウィルスの感染拡大の恐れがある中で、私の住む大阪府箕面市と隣接している兵庫県は学校を再開すると報道されています。休校延期の嘆願が生徒や保護者から出ているとも聞きます。

 どうして、生命の危機だと言われている中でこのような結論に達したのでしょうか。不思議でなりません。

 休校延期を決めて、生徒・教職員とその家族を守る措置を決めた大阪府兵庫県の状況は私の感覚からすると差はないと思います。実際に兵庫県の学校に通う大阪府の生徒もいれば大阪府の学校に通う兵庫県の生徒もいます。私のクラスにも兵庫県伊丹市からと芦屋市から通う生徒がいます。伊丹市は感染者が早期に出たことで全国的にも有名になった市です。

 学校を再開しても、個人の判断で欠席した場合でも欠席扱いしないとか言ってますが、欠席日数が云々ではなく、自分だけが取り残されるのではないかという心理的プレッシャーで生徒は休めません。「あいつ、コロナに罹ったんちゃうか?」とか「びびってるんやろ、自分だけ助かりたいんやろ」とかいうレベルの誹謗中傷は必ず起こります。みんな一緒でないとダメだという同調圧力を低く見積もるととんでもないことになると思います。

 また教員も同じです。私は思い切って新年度の会議を「すいません、テレワークします」と一度欠席しましたが、やはり、家で「迷惑かけたかな、勝手なヤツやと思われたやろうなあ」とクヨクヨ考えてしまいました。自分が休めば誰かにしわ寄せがいくと考えると、「休みます」と言うのはハードル高いです。それで「もう休むまい」と決めて次は登校して会議に出たら、校長から「先生方も在宅勤務です。学校来るなら許可をとって下さい。できるだけ来ないように!」と言われ、本当に安堵しました。健康なのに休むというのは、大変な選択で、やはり組織的に決断してもらわないと無理だと実感しました。

 ですから、兵庫県の先生たちも、自分が休んだら誰かが代行になり、仕事のしわ寄せがいき、申し訳ないことになると思って休めないはずです。まして、転勤してきたばかりとか新任とか若手とかはまず「家に高齢者がいるので休みます」もなかなか言えないと推測します。学校も会社もそうだと思いますが、ギリギリで回っていることをみんな自覚しているので、個人的な理由で休みを取るのは辛いのです。職場での後々の人間関係とか評価とかを考えると怖いのです。

 結局、生徒も先生も顔で笑って心で泣いてという状態で集まります。集まったら、話をしますよ、お互いに無視できませんから。教室の扉開けてすぐに手を消毒できますか?マスクしてても授業したらズレますよ。生徒が「先生ぇ、これ」と言って近づいてきたら、「やめろ、近づくな!」って言うのですか(笑)リスクだらけの環境で、移ったら仕方がない、運が悪かったと思うしかないと自分を慰めるしかないですよね。

 ちなみに、そうやって学校再開して、生徒や先生が感染したらその補償はするのでしょうか。教員は明らかに労災だと思いますが。万が一、亡くなったら、どう償うのでしょう。万が一、生徒が亡くなったら、どう償うのでしょう。学力低下とか家庭内不和とか退屈とか運動不足とかのマイナスと誰かの命を引き換えにするつもりなのでしょうか。

 全国的に休校に飽きて、イライラして、再開を望むというのもわかります。私自身も3月20日ぐらいまでそう思ってました。何とか授業したい、学校が恋しいと思ってました。しかし、今は違います。海外の例を見ても、専門家の話を聞いても、そんな感情論で済まない段階に来ていると認識が変化しました。

 まあ、兵庫県は広いですから、尼崎市伊丹市や西宮市などの大阪に近い側と日本海側とは状況が全く違うのでしょう。だからこそ、各学校で休校か再開かは決定すべきだろうと思います。

 校長教頭担任が雁首揃えて、「不備があったかもしれません、換気や手洗いは徹底していたのですが…。本当に亡くなられた生徒さんには申し訳ないことをしました…」と絶句する会見だけは見たくないです。