日本の高校教師が教育について自論を語ってます。

高校教師の考えた教育論

現役の高校教師があーでもない、こうでもないと教育について愚論を展開しています。

心との闘い

 まだ身近に新型コロナウィルス感染者がいないせいか未曾有の危機とかパンデミックとか報道されていても実感が湧きません。幸せな状況であるにはあるのですが、それだけに通常の生活が出来ないことにもどかしさも感じます。そういっているうちに、身近に感染者が出て、急速に恐怖が襲ってくるのかもしれません。この何も打つ手がない状態は人の判断力を妙に鈍らせる気がします。

 こういう時に出てくるのが、何々をしていると感染しませんとかいう噂ですし、もっと悪どいのは、何々を信じていれば感染しませんという類いの宗教の勧誘です。

 そんなものに惑わされないと思いたいのですが、トイレットペーパーの買い占め騒動などを見ていると、頭では心配ないと分かっていても、「でも、とりあえず」と行動してしまう部分は人間にはあるのかなと思います。心の隙間に付け込まれてしまうという感じでしょうか。後から冷静に考えたら、馬鹿だったなあと思うのですが、その時は「万が一」の不安が勝っているのだと思います。

 大人でもそうですから、子どもたちが判断力を鈍らせるというか希望的観測情報に走るというか、自分に都合の良いように考えてしまうのも無理はないのかと思ってしまう面もあります。

 例えば、4月もずっと休校でそのままGWに突入して、中間テストが消えてしまうとか、いやいや、夏になっても収束していなくて、そのまま夏休みとか、しかも十代は感染しても無症状か軽いから自分たちは平気だとして、あと半年は勝手気ままにできてしまうとか、そんな風に都合良く安易に考えてダラケ切ってしまわないのか心配しています。頭では「そんなわけない、学校が再開されて、また勉強しなくちゃいけない。テストもあるから忘れないように家で勉強しておかないといけないんだ」と考えても、「でも、とりあえず、今日はまだいいか」と遊びに耽ってしまいませんか、ね。

 そんなこと心配しても仕方ないのは、わかっています。それだけに、普段から判断力の質を上げるような教育をしておかないといけないことも今更ながらわかります。悪どい宗教に騙されるなという話しと矛盾するかもしれませんが、「そんなことしてたら、神様に叱られるよ、ちゃんとしないと!」という神様が生徒の心に居て欲しい気もします。

 さあ、生徒たちは、ここから先、どんな予測を立て、どんな葛藤を経て、どんな行動に至るのでしょうか。ウィルスとの闘いというより、心との闘いという気がしてきました。    

 今までの「やりなさい」と目の前でやらせて、褒めて叱ってという教育の限界なのかもしれません。見てなくても、自分でやるべきことをやれる人であって欲しいとクラスの生徒の顔を思い浮かべながら祈るばかりです。