日本の高校教師が教育について自論を語ってます。

高校教師の考えた教育論

現役の高校教師があーでもない、こうでもないと教育について愚論を展開しています。

制服廃止

 私は次の理由から中高生の制服を全国一斉に廃止すれば良いと考えています。

1 性同一性障害の生徒の存在です。少数とはいえ、配慮が必要だと思います。中学生になる段階で非常に苦しむという話を聞きます。

2 温暖化にマッチしていません。制服の形に捉われると、薄い素材は使えません。また、半袖カッターシャツだとズボンの中にしまわないとだらしなく見え、「シャツをズボンの中に入れなさい!」という注意に疲れ果てます。当たり前ですが、中に入れるより、外に出して風通しを良くした方が快適です。しかも、カッターシャツの下には白の下着も必須という校則も漏れなく付いてきます。下着検査?みたいなことまで起こる所以です。

3 移行期間を設けて、夏服から冬服へと移行させていくのが通常だと思うのですが、その判断は正当でしょうか?通学手段も違えば、もちろん、個々人で暑さ寒さの感覚も違うのに、ある日を境に、半袖を着て登校したら違反という制度はおかしくないでしょうか?

4 サイズが合わない生徒がいます。卒業まであと何ヶ月だからと、小さな制服に無理やり袖を通して、チンチクリンの学生服姿の生徒を見たり、すぐに大きくなるだろうとダボダボの制服姿の1年生を見たりします。これは身体の発育に悪いだけでなく、精神的にも良くないと思います。

5 制服は高価です。上着から靴下、靴まで一式規定している学校に入ると、何万円もの出費です。転学すると、また、新しい制服も要ります。全国一斉に制服をやめてしまえば、全国どこに転校しても安心です。

6 制服が決まっているから、服装検査が日常化し、違反の取り締まりに教員は神経質になります。「おはよう、こら、シャツ入れろ」では、良好な人間関係にはなりにくいと思います。もちろん、自由にしたら自由にしたらで注意する必要がある生徒も出てくるでしょう。注意が面倒というのではなく、理不尽だと教員側も少なからず思うのでストレスになるのです。喜んで、服装チェックをしている先生はいません。

7 最後に、これが一番大きな問題だと思うのですが、服装について考えることをしないということです。制服があった方が考えなくて楽という生徒も保護者も多いですが、その「人と同じで楽」という考えが色々な所に反映していませんか。確かに、どこの生徒という大きな集団性は顕示されますが、「私」は埋没します。主体性、創造性、表現力を養いましょうと言いながら、毎日絶対に考える瞬間を与えてくれる服装の選択を考えないというのは勿体ないと思います。面倒だから、考えないが癖になり、「じゃ、私も」という人間が大量に育っている気がします。もっと大きなところで個性や創造性を発揮してくれと言う人がいます。そんなアタマの切り替えを願うより、日常的にトレーニングした方が良いと思います。あの、偏見かもしれませんが、何かでとんがった才能を発揮する人の服装は大体がユニークだと思います。子どもが服装からユニークになるというのも大事なんじゃないでしょうか。

8  上に続けてですが、教える側として、生徒の服装を見て、その生徒の現状や個性の把握が可能になります。遠くから見てすぐに誰かわかるという利便性は元より、その子の性格がわかりやすいのです。また、いつもと違う服装で登校してくれば、今日は何かあるな?昨日何かあったな?と察することができます。また、当然のことながら、生活状況も見て取れます。これはとても大きなことで、生徒指導には絶対の効果があります。

 以上が制服を廃止した方が良いと考える理由です。しかし私が制服にこだわるには他にも理由があります。制服にまつわる個人的な苦い思い出が私にはあります。

 高校1年の時に、近所に住む同級生の女の子が自殺しました。その理由の一つが不本意入学した高校の制服を着たくないということでした。4月に家から出られなくなり、引きこもり、精神的におかしくなったのです。もちろん、制服云々の前に偏差値輪切りの入試制度なども問題だとは思いますが、やはり、子どもにとって、「私はこの学校です」という看板が重荷になることもあると思います。皆が皆、自分が行きたい学校の制服に4月から袖を通せるわけではないのです。

 多感な思春期だからこそ、外面的な制服による集団帰属意識より内面的に誇れるものを徐々に形成していけば良いと思います。それにいざとなれば、行事の時だけTシャツを揃えたりできる時代です。もう、兵隊ルックにルーツを持つ、思考停止、右向け右の集団教育の象徴である制服を廃止すべき時期が来ていると私は考えます。