日本の高校教師が教育について自論を語ってます。

高校教師の考えた教育論

現役の高校教師があーでもない、こうでもないと教育について愚論を展開しています。

大学入試改革

 大学新卒一括採用の慣行が影を潜めていき、採用が年齢に関係なく柔軟に行われるのであれば、高校を出て即大学入学、その後4年で卒業、そして就職という直線型の進路に大きなウエイトを置く必要はなくなるでしょう。

 そこで提案なのですが、高校を卒業した後、一定期間働いて、その後、大学に入学するという進路もあるのではないでしょうか。1年でも2年でも実社会で働いて、その後、本当に大学での学びが必要だと感じたら大学に入学し学べるというルートをもっと拡大するのです。

 そのためには、大学の社会人入学試験のハードルを下げる必要があると思います。入学に際しては、小論文と面接を重視するという形にするのです。1年、2年働いた職歴を重視するのもよいと思います。専門的に学ぶ必要性をしっかりと感じた上で、大学に来て学ぶというシステムを今以上に広く推し進めるという方策です。

 メリットとしては、何よりも、自分が本当に専門的に学ぶ必要があると感じて大学に入って来るということです。この当たり前のことが、高校即大学ではなかなか達成できません。働いてみて「これだ、これを学びたい」とわかることが多いと思います。もちろん、1年や2年でなく、5年でも10年でも長く実社会で働いてから大学を目指すという人も歓迎すればいいと思います。現在もそのような社会人入学制度はありますが、あまり世に知られていませんし、大学での定員も少数です。もっと「大学とは何歳からでも学べる場所」という認識を日本でも広めていくべきだと思います。

 また、そうすることで、保護者が負担していた大学の入学金や授業料も本人が自己負担するようになり、家庭の経済格差で大学進学を諦めるということもなくなると思います。

 そして、異年齢で経験差が大きいという高校までにはいない人物が同級生にいることにより、ストレートに大学に入学した学生たちも多大な影響を受けると思います。

 現状では同年齢集団の約半分しか大学に進学していません。高校もしくは中学校卒業後何年か経ってから大学に進学したいと思う人は少なくないと思いますが、社会人入試であっても、英語が入試科目として必須であると、二の足を踏むことになります。さらに入学後も英語を進級に際して必須単位としていることや第二外国語を必須単位にしていることが大学入学に対する関門になっていると思います。

 そもそも論になってしまいますが、一部の国際系の学部以外は、それほど語学を重視する必要はないのではないでしょうか?日本語で理解し、研究する範囲が遥かに多く、日本語で考えているわけです。翻訳が必要ならば、翻訳ソフトを活用すれば事足りるでしょうし、外国語の文献を読む必要があればそれも翻訳ソフトで済むでしょう。それに大学で語学を学んだぐらいでスラスラと外国語の専門書を読めるレベルになる人はほとんどいないと思います。

 この無駄に英語重視の話は大学入試そのものの話になるので、また別の機会に述べるとして、大学に様々なキャリアを持った人を受け入れて学問の活性化を図ることは本当に有意義だと思います。それこそ、リタイヤした中高年の方や子育てを終えた方がドンドン大学に入ってくれば、そこで学問以外のもの、例えば広く人生論なんかを学び合えるようになると思います。ぜひ、こういった形の大学入試改革も視野に入れて欲しいと思います。