日本の高校教師が教育について自論を語ってます。

高校教師の考えた教育論

現役の高校教師があーでもない、こうでもないと教育について愚論を展開しています。

学力格差対策

  突出した知が必要なのはわかるが、その一握りの知が何らかの社会貢献をして、多くの人に事業の後に余沢をもたらすのを待つよりも、各自が応分の知を身につけ、社会に貢献する形で生活していくことが安定的な社会を構築することになる。
  そう考えると、学校においてもトップ層を育てることも大事であるが、そうではない中・下位の生徒たちをどう育てていくのが課題となる。
  今、中・下位層というワードを出したが、これは各学校によって指す学力層が変わってくるのは自明だ。つまり、A高校においては下位に位置付けられても、B高校ではトップ層ということは当然出てくる。今の学校システムではやむを得ない矛盾である。しかも、その学力も一定ではない、移り変わっていくものだ。つまり、どのように習熟度別に区切っても「その個人にちょうどよい」という授業を施すことは不可能である。
  そこで、選抜試験をして、学校を階層化して、授業を習熟度別にするという発想を改めるしかない。各自のレベルに応じた知を養成していくとしたら、少なくとも高校においては、各自のレベルに応じた授業を配信して各自でそれを視聴して学力を伸ばしていくしかない。
  中学を卒業した時点で全員に対して授業を配信して、学力を問う問題を課していく、ゲームをクリアしていくようにその課題テストをクリアしていく度にその科目のレベルを変化させて与えていく。
  もちろん、所属する地元の高校もあり、座学以外の授業、後に別途説明するが、体育や家庭科、芸術など実習を伴うような授業はそこで行われるので、どうしても課題解決できない場合はその学校で生身の教師に質問することも可能だ。
  しかし、動画を視聴して理解でき、課題テストにパスできる生徒はどんどんそれをクリアし、最終的には現在のセンターテストにあたるようなナショナルテストにチャレンジして、各自のスコアを保持することになる。
  体育・家庭科・芸術などの出席や取り組みと合わせて「高校卒業認定」が授与された者から順次大学個別の試験にトライできる。その個別試験の時期や内容については各大学に任せればよいと思う。
  こんな話は荒唐無稽と思われるかもしれないが、現に予備校や塾においても対面しての授業以外の配信授業が多くなっており、またスタディサプリなどのシステムの利用者は年々増加している。
  このような主体性に重きをおいたシステムでは勉強離れが起こり、それこそ、学力が二極化するという恐れがあると思われるだろうが、地元の高校でそれぞれの生徒の学習動向を把握して、登校してきた時に、個別面談を今以上に実施すれば今よりも「個」に応じた指導ができる。現在のように担任が40名前後の生徒を見るよりも、ある意味実習科目以外の教員は全員が朝から夕方までずっとチューターとして個別面談が可能である。登校が不可という生徒に対しても地の利を活かして家庭訪問も容易だ。
  国家として無料配信する動画・テキスト(NHKの仕事)とそれに対抗して様々な動画配信がYouTubeなどで活発に配信されるだろうがそれも競争原理が働いて高校生には良き刺激となるだろう。
  動画配信システムをフル活用した学習と地元の高等学校での実習との組み合わせ、そこに生身の教師がチューターとして親身になっていくことで、今のように「自分に合っていない」という不平不満は減っていくと思われる。地元の高校に割り振ることで高校入試による諸問題も解決する。部活動などの課外活動については、NPOが運営する地元のクラブに入部するか、企業が運営するクラブに入るかは自由選択である。別にまた説明するが、もう今の時代は学校対抗の競技会そのものがナンセンスだと私は思っている。早々に高体連は解体すべきだ。

  5Gの時代に入り、ますますICT技術の進歩が伺える今日、学校格差のひずみのために伸び悩んでいる高校生に対して、次の打つ手は現実的にこれしかないのではないかと考えている。